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ブリタニカ草稿(最終稿)第16節 [読解シリーズ]

【全ての哲学的対立の解消】

○昔から哲学的な立場については曖昧な対立があるが、それは論証を積み重ねていく弁証法や弱々しい妥協ではなく、直観から抽象的な高みへと進む現象学により解消される

○その対立とは、合理論と経験論の対立、相対主義と絶対主義の対立、主観主義と客観主義の対立、存在論と超越論の対立、心理学主義と反心理学主義の対立、実証主義と形而上学の対立、目的論的な世界理解と因果論的な世界理解の対立などである

○こうした対立は、正当な動機もあるが、中途半端さや一面的な絶対化もなされている

○主観主義は「超越論的な主観主義」によってのみ克服される

○超越論的な形態を理解すると、主観主義は客観主義を取り込む

○いわゆる客観主義は、超越論的な形態を理解しないために、主観と分離した不当な「客観」を設定するが、それは「超越論的な主観主義」においては、経験により調和的に与えられる客観性である

○相対主義は「現象学的な相対主義」によってのみ克服される

○現象学においては、客観的な存在は、超越論的に構成された存在として、自我に対して相対的なものである

いわゆる相対主義は、超越論的な形態を理解しないため矛盾に陥っている。

○また、自分自身も、超越論的に構成されたものとして、自我に対して相対的である

「私」や「自分」や「私の身体」や「私の心理」も超越論的に構成されたものとして、自我に対して相関的、相対的である。

○経験論や経験主義は、現象学的な経験の理解により克服される

○現象学では、経験論者の狭い意味での経験に代えて、原的に与える直観という経験を中心に置く

○この直観は、本質直観や明証性により、現象学的に正当化される

○本質学としての現象学は、合理主義的でもある

○しかしそれは、独断的な合理主義ではなく、超越論的主観性の本質研究による「自我と意識された対象性」の研究による合理主義のことである

現象学的な合理主義ではなく、よくある独断的で飛躍した合理主義、進歩主義は危うい。

○これらに絡み合う他の対立についても同様である

一切の哲学的対立とは、超越論的な形態を理解しないがゆえの対立である。

○「存在」とは、超越論的主観によって構成されたものであり、その構成する働きに引き戻すことは、目的論としての世界に対する考察を開いておくことである

○現象学は、ギリシャ哲学からの純粋な哲学的成果である

○デカルトから合理論、経験論、カントとドイツ観念論を経て、現在に生きる

○この成果は、「哲学的問題を、具体的に手中に収めながら片づけていく作業」自体を指 している

○しかし、この道程は、無限の道程である

○それゆえ、現象学は、現象学者が自分のために哲学的体系の理想を手に入れるという欲望を捨てることを要求し、他者との共同性において謙虚に働くものとして、永遠哲学のために生きるように要求する

フッサールの哲学に対する理想はかなり高く、周囲には誰もいない。
彼がときどき語る意味での「現象学者」とは今まで彼だけである。


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