ブリタニカ草稿(最終稿)第3節 [読解シリーズ]
【現象学的還元と内的経験】
○本当に純粋な経験を洞察するときには「現象学的還元」という方法が必要となる
○この方法は、純粋心理学の根本的方法であり前提でもある
○難しいのは、実在的なものと心理との絡み合いについてである
○「外的なもの」は、内在に属していないが、その経験は「外的なもの-についての経験」として内在に属している
パソコンなどの外的事物は「内在」と呼ばれる意識の流れの中に属していないが、「パソコンについての経験」は「内在」に属している。
○現象学者は、意識の純粋現象を獲得したいならば、「外的なもの」にエポケー(判断中止)を実行しなければならない
○現象学的反省を行うときは、客観的措定を禁止し、端的に世界が存在すると「判断する」ことを禁止する
○しかし、そのつどの経験は「○○についての経験」として残り、「○○」自体の措定がエポケーされるだけである
○志向的体験を記述することは、幻想体験であれ、無の判断であれ、「意識されたもの」なしに記述することは不可能である
○エポケー(世界の括弧入れ)は、端的に存在する世界を、現象学の場から遮断する
○しかし、世界は「かくかくに意識された世界」「括弧に入れられた世界」として登場してくる
○また世界的なものの代わりに、そのつどの意識意味(知覚意味、想起意味など)が登場してくる
○自然的態度で存在すると措定された統一体(対象的なもの)も、多様な意識様式と分離できないものとして、心理の中にあり、その統一体はそのつどの現出する性格をもつ
○従って、現象学的還元は、次の方法により成り立つ
○(1) 心理的領野において客観的存在の措定をエポケーすること
○(2) 多様な「現出」を「対象となる統一体の現出」として把握、記述し、また付着する意味成分をもった統一体として把握、記述する
○それと共に、「ノエシス的(意識作用)」「ノエマ的(意識対象、意識相関者)」と呼ばれる現象学的記述の二重の方向性が示される
○現象学的還元の方法の中にある経験が、唯一の純正な「内的経験」である
○その内的経験により、方法的に純粋性を保ったまま、現象学的解明を無限に進めることができる
○つまり、還元という方法が、自己経験から他者経験に移されることにより、他者の生も、他者の主観として「ノエシス」「ノエマ」を記述出来るからである
私の超越論的領野の中で、他者も自我をもつ他者として構成される。
○共同体経験は、個人の領野だけでなく、間主観的な共同体の生としても還元(間主観的還元)される
私の超越論的領野の中で、各個人の主観を結びつける共同体も構成される。
○心には、意味統一体だけが属しているのではなく、自我も属し、この自我は全ての志向性を中心化する「自我極」であり、生きている中で、いつもそこに帰ってくる習慣性の担い手でもある
○それゆえ、還元された間主観性とは、活動する共同体のことである
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