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フッサールの「真理」について [フッサール現象学]

フッサールは「真理」という言葉を好み、よく使用しています。しかし、この言葉がどうも「現象学」理解に混乱を与えていると思えることも多々あります。

現象学を語る際に「真理」という言葉を「定義なし」でそのまま使用することも、それに輪をかけているような気もします。

勿論、フッサールは客観主義的な意味で「真理」と言っているわけではありません。

「純粋現象学は、物理的ならびに心的な自然的現実についての真理(すなわち歴史的な意味での心理学的真理)は一切論定せず、またそのような真理を前提や補助定理として用いることもしない」(論理学研究4 補遺(5))

「私が超越論的ないし純粋な現象学者である時間には、私はひたすら超越論的自己意識のうちにあり、…。ここには客観性をもつものはないし、ここに客観性、世界、世界学といったものがあるとしても、それは超越論的われとしての私の現象でしかない」(危機 第72節)

というように、主観を超えた、主観と分離された「客観」「真理」というものは現象学では背理です。「主観-客観」図式で言われる「客観自体」「主客の一致」という概念は背理です。これは現象学の前提なのですが、これを誤解、あるいは誤解を与えかねない表現もよくあります。(超越論的)現象学では一切は「主観内の現象」でしかありません。

【明証】

「明証とは実際に直観し、直接かつ十全的に自己を把捉する意識のことであり、このような意識はまさに十全的な自己所与性に他ならない」(現象学の理念 講義四)

「明証とは全て、存在するものを、「それ自身」という様相において、どのような疑いも排除するような完全な確実性において、そのもの自身を捉えることである」

「だからと言って、明証的なものが後になって疑わしいものとなる、あるいは、存在すると思われていたものが仮象と判明することになる、といった可能性を排除するものではない」

「明証をもっていたにもかかわらず、疑わしいものになるとか存在しないかも知れないとか、そうした事態になる可能性が開かれていることは、明証の働きへの批判的な反省によって、いつでもあらかじめ認識することができる」
(以上、デカルト的省察 第6節)

「明証」とは、あくまで意識の中で「直接」「十全的」に「そのものを捉える」ということであり、「外的存在」の絶対性を与えるものではない。

「ある表象が我々にとって明証的になるとは、その表象を根源的に充実する確信にもたらすことなのである」(受動的総合の分析 第16節)

「全ての意識作用には、確信の様相が属している」(危機 第20節)

当然、「意識の中」で「明証」であっても、「外的存在」は超越としての「確信」でしかない。「確かめたら違っていた」ということはよくあり、それでないと「マジック」は成立しない。

【真に存在する】

「真に存在する、現実に存在する」とは何か?

「明証的に同じものとして捉える綜合の歩みが明証的に与えられたものと対立することになれば、今通用しているものを直ちに放棄しなければならず、現実の存在について確信をもつことができるのは、正しいまたは真の現実そのものを与えてくれる、明証的な確認という綜合によってのみである」

「対象についての真理つまり真の現実は、明証からのみ汲み取ることができる」

「明証は全て、私にとってある持続的な所有を創設する」

「そのものが見てとられた現実であれば、私は「繰り返し」、新しい明証の連鎖のなかで最初の明証の再生として、そこに立ち帰ることができる」

「こうした可能性なしには、…どのような存立し持続する存在もなければ、いかなる実在的な世界も理念的な世界もない」
(以上、デカルト的省察 第26-27節)

つまり、「真に存在する、現実に存在する」とは、いくら繰り返しても「同じ存在」ということである。持続する明証がなければ、「存続する存在」も「実在的な世界」も「理念」もない。

「パソコンが真に存在する」とは、「何度どのように確かめても、同じパソコンが存在する」ということであり、「理念の同一性、普遍性」は「何度確かめても、同一の理念であり、誰が確かめても、同一の理念である」ということである。

【真理】

フッサールは「真理」という言葉を「論理学研究4」(6-1-5-39節 明証と真理)で難解なややこしい言葉で定義しています。

4つの定義があり、それは次のようなものです。

(1)真理は「事態であり、同一性」である。思念されているものと与えられているものとの完全な一致である。この一致は十全的で顕在的である限り、明証の中で体験される。一致を十全的な知覚によって意識する可能性がある。

(2)絶対的一致という理念

(3)対象が、本質のイデア的充実として体験される

(4)志向と対象との一致。論理的な命題の判断の正当性

簡略化しても、わかりにくいのですが、「(2)と(4)の意味での真理が一致の理念である、ないしは客観化的措定と意味の正当性である」(同節)というように、(2)と(4)は「理念、意味、論理としての一致、つまり真」ということです。

「真理という意味での存在については、(1)と(3)に基づいて、「一致の中で思念されると同時に与えられてもいる対象」の同一性のことである、もしくは十全的に知覚されうるもの一般、しかも知覚されうるものによって立証されるべき(十全的に充実されるべき)何らかの志向への不特定な関係の中で十全的に知覚されうるもの一般のことである」(同節)というように、(1)と(3)は「対象の十全的な知覚、本質直観」と言える。「真に存在する」という意味での「真理」は(1)と(3)になります。

平たく言えば、「真理」とは、「何度確かめても真である理念や存在」のことに過ぎず、それは「意識によって得られるもの」である。

だから、意識を超えた「真理」や「絶対性」のことは何も述べられてはいない。

「世界の存在がこのようにして、たとえそれ自身を与える明証においてですら、意識に対しては超越的であり、また超越的にとどまる」

「どのような客観的に実在する対象についても、絶対的な明証というのは一つの理念、無意味な目標であろう」(以上、デカルト的省察 第28節)

「超越的な実在者に関係する真の事柄が「十全に」与えられることはない」(経験と判断 第70節)

「ところが、ギリシアに生まれた新しい人類は、自分が、自然的生活の「認識」「真理」という目的理念を改造し、「客観的真理」という作り出された理念に、あらゆる認識の規範という高い尊厳を与え…」(危機 33節)

というように、超越的な世界は確信・信憑世界であり、意識を超えた「真理」「客観」「絶対」という概念は背理である。

しかし、(混同されやすいが)
「学問に客観的な拠り所を与える客観的真理とは超時間的イデア性の中に存在する客観性であり、絶対同一的なイデア的存在としての真理である」(現象学の理念 訳注 71)

この場合の「客観的真理」とは、理念としての「真理」であり、超越物ではない。それは数学のように誰にとっても妥当し、普遍性を持つ。文脈を見て混同してはならない。

【まとめ】

基本的にフッサールの「真理」とは、「真なる理念」「真なること」「真に存在する」ということで、意識によって得られる「真なるもの」のことです。

その「真理」は誰にも当てはまる普遍性をもつ。「経験的なもの」「数学的・論理学的なもの」「内在的なもの」についての普遍性については、何故それが誰にも当てはまる普遍性を持つのか、詳論が別に必要かも知れません。

(超越論的)現象学では、一切は主観内の現象です。主観と分離した世界(真理、客観、絶対、時間)は背理です。あくまで、主観内で(客観的に、間主観的に)成立する「真理」「客観(性)」「普遍」「時間」を扱います。もしそこに、「客観的な世界」があるとしても、それは経験や間主観性による信憑世界で、主観を超えた、主観と分離したものではありません。

現象学は「客観的な時間」や「客観的な空間」を否定しようとしたのではなく、「客観性の意味」を客観主義や主客図式から取り戻し、本来の姿として提示しようとしたものです。

そして「幾何学的、イデア的」な理念における真理と、経験的な確信世界に対する客観性とは十分に区別しなければいけません。

(補足)

確かにフッサールの「真理概念」は混乱に導きやすく、現象学に「真理」という概念がどこまで必要かは疑問な面がある。外すか別の言葉で表現した方が理解しやすい。

彼の文章には、研究を進めていくと、「真理」という概念を使うべき考察に至った、というよりも、先に「真理」という概念があり、現象学の考察の中でそれに当てはまるものを探すといった志向がある。だから概念の幅が広く、とってつけたように「真理」という言葉が使われている。

こういう志向は当時以前の哲学的状況とリンクしているようである。


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大絶画

 はじめまして大絶画と申します。
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 なおこのコメントが不適切と判断されたら削除していただいてかまいません。
by 大絶画 (2010-07-27 21:26) 

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